東京・渋谷で活動するカトリック教会を育成母体としたボーイスカウト。ボーイスカウト渋谷第5団の公式ホームページです。

ボーイスカウト夜話3


Scout Yarn


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8.忘れえぬ人

 あるずばぬけた公式がつくられると、それを理解するには、ある一定の高次な知能が要求される。従ってすべての科学者によって完全に理解されることが非常にむずかしいものの一つは物理学の研究分野である。
 1905年にアインシュタイン博士によって提唱された特殊相対性理論は、時間・空間に関するそれまでの物理学者の考え方に根本的な変革をもたらすものであった。しかし反面、その理論はあらゆる科学上の進歩・改革がこれまでなしえてきたような行為とは遙かにかけ離れた、驚くべきほどのエネルギーを作り出す理論でもあった。
 やがて第2次世界大戦が原子爆弾の出現と共に終わり、日本のみならず世界はみじめな思いをした。最早そこには勝利とか敗北とかいった観念に先行する何ものかが生じてきていたのである。博士は戦争が始まる以前からの反戦主義者でもあった。科学は平和利用を促せば本来の使命を遂げるのであり、それらは人類の進歩を助けるもの以外の何者でもない。
 博士が若い頃訪問された日本がいつまでも懐かしい思い出として残っていたのであろう。領土が狭くなったのに、人口が多くなって気の毒だともいわれていたそうであるが、博士の「わが世界観」という短文集の中で、特に日本の少年少女に送られた手紙がある。
「君たち日本の生徒諸君にこの挨拶を送るについて、私はそうする特別の権利があると思っています。なぜかといえば私自身、君たちの美しい国を訪れ、町や、家や、山や森をみました。そしてそこに住む日本の子どもたちが、それらによって自分の国を愛することを学んでいるのを知りました。日本の子どもたちによって書かれた、色のついた絵の一ぱい載っている、大きな厚い本がいつも私のテーブルの上にあります。
 もしも君たちが、こんなに遠くからの私のメッセージを受け取ったならば、私たちの時代は歴史の中ではじめて、ちがった国の人々の間の、友好的で理解あるつきあいができるようになった時代であることを考えてみて下さい。
 前にはお互いに相手のことを知らずに生活してきました。そして実際、お互いに憎み合ったり、恐れあったりしたのでした。同胞的理解の精神が、みんなの間でますます基礎を固めてゆくことを望みます。
 このことを思いうかべながら、ひとりの年老いた人間である私が、君たち日本の生徒諸君に遠くから挨拶します。そして、君たちの世代がいつかは私達の世代を恥ずかしいものにするだろうことを期待しています。」
 そういったことからも、そこからは、博士は人に先だって憂えてきた人であったと推察できるであろう。既に遠い未来のことを見とおしていたのである。アインシュタイン博士がなくなる2週間前にある科学史学者が博士を訪れたその時に、博士は「その時代の気風がどうであろうと、それを超越できるのが人間の高貴さというものである」といわれたそうである。博士はまさに時代を越えて生きた人であったといえる。
 20世紀が輩出した最も偉大な科学者も、いまはいない。



9.協力するにはやり方しだい

 1960年7月のことであった。アメリカ・ボーイスカウト創設50周年記念ジャンボリーに招待されて、日本からも100余名のスカウトが参加した。会場は、コロラド・スプリングスでの1週間のジャンボリーであったが、その前後40日は、一人ずつアメリカ人の家庭に入り、各州のスカウト隊に配属された。
 7月22日、ジャンボリーは開会され、数万の参加隊は会場をうめ、大統領も臨席され、盛大な開会の幕は切られた。日本のスカウトは、アメリカ隊の一員として活動したのであるから、プログラムの一つ一つが面白く感じられた。キャンプのプログラム中、班員の仕事についてはリーダーから翌日の任務を依嘱される。テント、物資、ハイキング、水くみ、炊事、火おこし等々。与えられた仕事に向かって彼らは一斉にとりかかる。自分の任務が完了すれば自由であるから、新聞を読んだり、ラジオを聞いたりしている。
 一方、火おこし当番は慣れていないので、頬をふくらませてプープーやっていたが、豆炭と新聞紙のたきつけでは、短時間にはおきない。仕事の終わった連中はこれを見ても助けようとはしない。淡々として何の表情もない。日本のスカウトは黙っていられない。奮然として手伝おうとしたら、そのスカウトは構わないでくれという。そのうち、食事当番は用意ができたので、さあ食べようとなった。火おこしも止めて食卓についた。
 数日後、この火おこし君が再びこの任務についた。全員が各自の仕事にかかった時、火はかんかんにおきていて、当番の頬は満足に微笑んでいた。
 日本のリーダーが、アメリカのリーダーに「班員はなぜ助け合わないのか」と質問したとき、そのリーダーは「他人の領域に干渉しないことは協力しないことではない」といった。民主主義の先進国が多年に亘って築きあげたこの精神は、随所に現れて気持ちよく感じたという。
 結局こうしてみると、実際的に他人と行動を共にするのと、心で協力するのと、つまり、そのことがとりもなおさず、彼の進歩にあずかるということの二つがあるのに気付く。これが真の協力なのである。しかもそれはいずれの場合でも誠意のこもったものでなければならない。



10.独創的思考

 「人類は創造的能力を持った唯一の種である。そして人類は創造的手段を一つだけもっている。即ちそれは、その人間の個人的な精神と気迫である。いかなるものも二人の人間によって創られたということは未だかつてない。音楽、芸術、詩、数学、哲学のいずれの分野においてであろうと正しい共働というものはない。一たび創造の奇跡が起こったならばグループはそれを組み立てて、拡大することが出来るが、グループはいかなる物をも発明しない。貴重なものは人間の独自の精神にある」(筆者訳)
 これはアメリカのノーベル賞受賞作家、J.スタインベックの言葉である。彼が云わんとしているところのものは、こうである。「人類だけが創造的能力をもっていて、偉大な仕事は、その創造的能力をもった人によって達成されるのであって、グループによって達成されるのではない。大切なのは人間独自の精神である。
 このことはスカウティングにも適応する。各自のスカウト活動においては、独立した思考が必要である。模倣や、依頼心を起こせば決していい結果は望めない。実践からくる体験と、あくなき探求に対してのみ、それらは無限に君達の前に転がっているのだ。それを拾うか拾わぬかは、君達の日頃の思考態度によって決められるのだということを忘れないで欲しい。君達のはつらつとしたものにこそ見出されるべきものなのだ。



11.実践躬行、精究教理、道心堅固

 私達スカウトにとって「指導者」という言葉は、魅力ある響きを持っています。この言葉は、何も団委員や隊長や副長だけのものではありません。私達スカウトは皆指導者となりうるものですし、また指導者なのです。班長は班員を指導し、班員は社会の中で善行の指導者でなくてはなりません。否、スカウトは善行の指導者なのです。
 さてここでスカウトでの指導について考えてみましょう。一般に世間では、スカウトというとすぐキャンプとかジャンボリーという位、これらを結び付けて考えています。確かにキャンプは私達スカウトにとって重要な訓練の一つです。しかし考えて下さい。あの楽しい充実したキャンプは、”誰が”、”どの様にして”行ったのでしょうか。
 「キャンプに行こう」「素敵」「賛成・・・」ワー・・・「ああ、面白かった」。スカウトのキャンプはこの様なものでしょうか、否々、とんでもない、これは、その辺の町中のキャンパーのする事です。では、何処がどう違うのでしょうか。一般のはこれ限りで終わります、しかしスカウトのはそうではありません。
 さき程記しました”誰が”、”どの様にして”、この二つです。”誰が”は指導者総てがです。”どの様にして”が問題です。私達スカウト活動には、長い、大きい、遠い計画があるのです。即ち人に信頼される人間を作ること、そして、その精神の究極の目的は、隣人愛に根ざした、世界平和にあるのです。この目標を目指して長い計画が立てられ、さらに、それを行い易くするために、年間、月間プロが作られるのです。ですがどんなに良いプログラムでも、実行がなくては、卓上の理論、否、空論に終わります。スカウトはこれを実際に行うのです。そして実行するだけでなく反省し、再検討し研究をするのです。そして私達スカウトは、しっかりした理念、考えを掴み、理想の精神、筋金入りの根性を作り上げるのです。これが私達スカウトが他のグループ活動と大いに異なる点です。
 年間プロをもとに月間プロを作り、コツコツと計画を実行し基礎訓練をし、そしてキャンプで今迄の成果を示し、そしてそれを再検討研究し、真のスカウトの道を会得するのです。
 このことを表した言葉に「実践躬行、精究教理、道心堅固」というのがあります。これは、私達スカウトの大先輩、佐野常羽師が指導者の鉄則として述べたものです。第一に実行、次に再検討し理論研究を行う、そして理想の精神、筋金入りの根性が大切であることを示しています。要は、良いプログラムとその実行、そして継続がスカウト運動に大切であることを述べているのです。
 後藤新平初代総長の言われた言葉に、「金を残して死ぬのは下だ、仕事を残して死ぬのは中だ、人を残して死ぬのは上だ」というのがあります。私達は良き指導者となり、人に信頼される良い人間を作ろうではありませんか、これがスカウト一生の勤めです。(河井宏文氏寄稿)



12.健全なる精神は健全なる肉体に宿る

 スカウト諸君の大切な務めの一つに、学校で勉強するということがあります。
 ここで、今日の学校 (School) の語源を調べてみましょう。驚くなかれ、ギリシャ語の「閑暇」「ひまつぶし」という言葉がそれに当たるのです。
 すでに社会科で学んだことと思いますが、古代ギリシャでは、市民(自由民)と奴隷の区別がはっきりしていて、筋肉労働や商売などの仕事は奴隷のやる事として卑しみ、市民が「忙しい」とか「ひまがない」と言うのは不自由な奴隷に近いことを意味するので、大変恥ずべきこととされていました。
 それでは、彼等が「閑暇」をどのように「ひまつぶし」したかと言いますと、ここが偉いところで、人間として最もすばらしい姿、つまり、心身の円満な発達を求め協力したのです。ですから、少数民族でありながら、美しい芸術作品、哲学、政治を始めとする諸科学の発達など、歴史上に輝かしい足跡を飾っております。また、これらを神に捧げようとして興った行事、オリンピックの精神は誰でも知っておるところです。
 B-Pは、スカウティングが家庭や学校あるいは教会での教育に対するものでなく、それらの補助的手段であると述べております。確かに、私達の活動は内容的にも規制力においても自由な立場にあり、それ故に非常に意義があるわけです。スカウトとは「すきま」をぬって活躍する斥候であって、スカウトの訓練とは「ひまつぶし」を教えるゲームなのです。ですから、諸君の中にはスカウトのキャンプに閑時作業があるのでびっくりした人も多いはずです。
 現在。私達には「閑暇」がきわめて少なく、昔のような生活をすることは許されません。しかし、量を問題とすべきでなく、要は「閑暇」をどのように使うかということです。古代ギリシャ人は「健全な精神と健全な身体」の願望のもとに心身の訓練に励みました。
 現在に生活する私ならば、より自由な人間らしく、努力して貴重な「閑暇」を生み出し、歴史的に進歩した真の人間らしく、立派な「ひまつぶし」をやろうではありませんか。(漆畑昌坦氏寄稿)



13.夕に祈る

 火をたくとき 私達はひざまづいて
  永遠にかわらぬ 神の恵みを感謝しよう
 炎のもえあがるとき 私達は小さな祈りをささげ
  このあたたかさと明るさを感謝して 香をたこう
 そして 私達のこの幸福のために
  ここに犠牲のあることを記憶しよう
        ジョン・オクスンハム
 厳しく照りつけた太陽も今は山の端に沈みゆくとき、そして日昼の苦しくも楽しかった訓練を終え、一日の恵み多い幸を神に感謝して、わずかの祈りをささげるとき、本当に今日一日のことをふりかえってみて、そこには昨日よりは今日ということがいえるほどの実りを見出すこと以上に大いなる歓喜はない。人里を離れた雄大な自然の中で、一人思いに沈み今日一日が無事平穏のうちに終わったことを心から素直に神に感謝できる君は仕合わせである。
 ボーイ・スカウト運動の生みの親であるパウエル卿は一日の仕事が終わると、つとめて語学書を読まれたといわれる。残された今日の時間をその国の言葉を勉強して大いに見聞を広められたそうであるが、もしも君達が求めるのであれば、神は貴重な時間を惜しみなく与えて下さるのだということを忘れないように。スカウトは自ら、心と体を作らなければならぬ。与えられたわずかの時間を大いに利用することは概して私達の気がつかないものである。



14.真の勇気

 「スカウトは勇敢である」スカウトとして、男性の誇るべき徳「勇気」を身に付けたいと願わぬ者がありましょうか。
 おそらく諸君は、尊敬する偉人・英雄の伝記を繰り返し読んでは、すばらしい業績のかげに幾多の勇気ある行為を見て感動したことと思います。私は、アレキサンダー大王について「燃えるような砂漠を行進中、たまたまかぶとになみなみと注がれた水を供せられたが、多くの部下が渇くのに独り飲むのをいさぎよしとせず、熱砂の上にまき散らした」とあるのを読み、大王の数え知れぬ武勲にもまして真の勇気を感じさせられたものです。
 諸君の中には、チャンスさえあれば勇敢に振る舞えるのに、とひそかに思っている人があるかもしれません。確かに、名声世に秀でるには、時に恵まれなければ不可能に近いでしょう。しかし、人間は必要な時にのみ勇者となることはできません。アレキサンダー大王の偉大な制覇も、例の一杯の水にこめられた勇気によって達成できた、と断言しても誤りではないでしょう。
 大事というものは、偶然のなすわざでなくふだんの努力、特に若い頃からの訓練の成果と見るべきではないでしょうか。また、大王は素質もさることながら、幼少より父フィリップ王に従って戦場で鍛えられたわけですが、現在、われわれは真の勇気を鍛える戦場をどこに求めればよいのでしょう。
 ボーイスカウトは「平和の騎士」と自称しております。つまり、この世の平和実現の為に勇敢に戦うと言うのです。もとより、武器をとっての事は許されません。戦場としては日常生活する場が与えられております。諸君は、このような戦いに全く興味がわかぬと主張するかも知れません。確かに、自分の生命に関係するわけでもなく、その結果すら判明しないとあっては真剣に戦う気になれないのも当然です。
 しかし、自分で自分を傷つけ合うという恐ろしい戦いが世にありましょうか。こちらの戦法を知りつくしている最もずるい相手と独りで戦うのです。諸君が乗物で席を譲ろうとする時、路上でごみを見つけた時、もう一人の自分が手向かってきませんか。そして、諸君はいつでも、どこででも、自分に従う自分を簡単に切り伏せることができますか。
 聖書には「天国は戦いによって奪うものである」と、主キリストの言葉を記しております。
 スカウト諸君、勇気を出して「心中の賊」と戦い続けようではありませんか。そして、平和の国が実現された暁には、神と国に誠をつくして戦った真の勇者として堂々とがいせんしようではありませんか。(漆畑昌坦氏寄稿)



15.あるスポーツマン

 西欧世界では古くから、各種のスポーツが発達し、それが人類の社会に、あらゆる面で多大な貢献をなしてきた事実は、現在でもオリンピックという世界的スポーツの祭典があることでもよくわかることだが、とりわけ西欧諸国ではボールを用いたスポーツが、昔から根強く、しかも熱狂的にそれら国民の間に浸透している。我が国でも、最近ではオリンピックのせいもあってか、サッカーやラグビー、あるいはフットボールが脚光を浴びてきたようであるが、もともとこれらのスポーツの歴史は古い。これらのスポーツの特徴は一般的にいって、ルールが割合に簡単で誰にでも親しめるものである。それと同時にヨーロッパ諸国によるーー特にイギリスーー植民活動と共に、その地にもたらされ、普及した。その好例は、例えばホッケーなどであろう。これは大体、英国で始まったものといわれるが、今まではインドやパキスタン(これらはいづれも英国の植民地であった)が最強といわれるし、その他のスポーツも多分に似たような現象を呈している。我国独特のスポーツ柔道も、そういった中に入るかもしれない。
 ところが、どれもこれらのスポーツに共通していえることは、チームプレーによるスポーツであるということである。つまり個人ではゲームが不可能なのである。だからまとまった、一種の総合力のようなものが必要とされる。各選手にはそれぞれの守るべき範囲がある。野球にしてもまた然りである。
 さてこれは、あるラグビー選手の物語である。現在でもそうであるが、ラグビーは概して、オーストラリアやニュージーランドが強いといわれる。この選手はニュージーランドのラグビー・チームの選手だった。彼はそのプレーのみならず、グラウンドマナーや、人間的にも立派な選手であったので、チーム内では常に他の選手を統率するような存在にあった。殆どの少年達は、今日君達がプロ野球の選手に憧れるように、彼もまた少年達のアイドルであり、試合では彼のファインプレーや、正に英雄にふさわしい行動に歓声をあげ、その人気はとうてい計ることのできないほどのものであった。そのチームは向かうところ敵なしで、勝利の道を歩みつづけた。新聞はそのチームと、いかにも彼のスポーツマンらしい態度を称え、チームメートからも、彼は心からの尊敬を受けた。それからそのチームは、ヨーロッパに遠征試合をし、連戦連勝を重ねた。しかし最後の試合が行われたときのことであった。ヨーロッパで最強のチームと相対して、お互い零対零のままで引き分けのように見えたこの試合も、、ヨーロッパチームの最後の僅かな時間内のトライのために惜しくも連勝をストップさせられてしまった。観衆は熱狂のあまり、グラウンドに飛び出す始末。ところがここに一つのトラブルが起こった。それはこのプレーがルールに反したものであったことが、離れてみていた審判にはわからず、激しい抗議にも拘わらず、とうとう正当化されてしまった。しかしこのことを一番近くでプレーしていた彼には、それが誤った判断だということがよくわかっていたが、ついに一言もいわず、選手達は涙をのんで国に帰った。

 やがて欧州において、第一次世界大戦の勃発と共に、ニュージーランドからも軍隊がヨーロッパ戦線へ送り込まれた。そしてその中には彼も含まれていた。苦しい戦いは兵士を疲弊させ、食糧不足、けが・病気といった悲しい状況の中で、そして砲弾のとびかう中で、兵士は故国を思いうかべながら、死んでいった。彼もそういった戦いを重ねるうちに、ついに敵弾に倒れる時がきた。自分の最期を知った時、彼はかつてのチームメートを傍らに呼び、心に残ったあのヨーロッパでの最後の試合の審判の判定はまちがいだったといって息を引きとった。
 彼がこれまで辿った道は、本当に勇者にふさわしいものであった。そして何よりも審判の判定には従わなければならぬスポーツマンとしての道を身をもって示したのである。尊敬に値する立派な、1ラグビー選手の、そして真のスポーツマンの生涯だった。



16.愛国心について-わが祖国

 我々スカウトは年間を通じてそうであるが、とりわけ夏になると野山や海の見える荒野を開拓しては野営にいそしむ。人間がこの世に存在してから今日に至るまで大自然と人間とは常に相対的関係にあった。自然は人間を育み、日々にして人間は進歩していった。やがて地上での生活から彼等は発達した頭脳と幾世代にも渡る体験ののち、家を造り、まとまった文明社会を創った。今ではこのことがあたり前になっている。一つの家族団体を構成し、家屋の中で家庭生活を営む。然らば何ゆえにわざわざ野山や荒野に出かけ、そこを切り拓いてまで野営しようとするのか。それが単に君達の訓練のためだけなのか、また、君達の欲求からくるものなのか、それは人間だれもがもつある一種の本能--自然に帰るということ--のようなものである。自然は限りなく君達を愛してくれると同時に、君達を試しもする。そうしたのちに君達は光沢を増す。
 さて、こうしたことが一定の地域で行われ、その結果君達は現在自分の住んでいる所や、もっとかけ離れた所ですらよく知りうるようになりうるのである。それではそれが一定の限られた地域でなく、この日本という国を考えた場合はどうだろう。各地方にはそれぞれ、特に風光明媚に富んだところがある。そういったものに接したばび、どんな風に感じるだろう。誰もがきれいだと思うにちがいない。
 愛国心や祖国愛というものは、既に知っているスカウト諸君もいると思うが、スカウティング・フォア・ボーイズの営火夜話26の中でB-Pは次の様に説明している。「私はどの少年も皆、何かの方法で国家のため役に立ちたいと望んでいると思う」といって、「役に立ちたいだけでは充分とはいえない。いかに役に立つかを知らねばならぬ。そしてそれについては君達が国のため役立つ多くのことを充分学んでいなければならないのである。例えば諸君は今ではもう、大分注意深くなっているにちがいないから、自分の身体に気をつけることが出来、困難を冒したり、事件にあたって人々を助ける仕方を知っている。君らの承知の如く、国はその中に住む個人から成り立っている。各人が夫々自分自身を役立つよう訓練し、自分のことばかりを考えないで他人のことも心に用いるようになれば、結局、国家は今までよりか立派になるであろう」とし、次いで「先ず我々は、良い公民とならねばならぬ。そして我々の周囲の国々の、良い友とならねばならぬ。なぜならば、一軒の家というものは、他とかけはなれては存立出来ないからである」としている。つまり人間一人では生活していくことが出来ないということを述べており、もっと詳しくいうならば、愛国心は他の愛情一般と同じものであると同時に、また一つの感情なのである。それは極めて自然なものであって、無理になくそうとして無くせるものでもなければ、無理に起こそうとしても起こしえるものでもない。人間には誰でも愛情がある。親子、兄弟、姉妹の間の血縁愛はいうに及ばず、友達の間に愛情のない者はいない。ましてふるさとの小河に淡い郷愁をいだかぬ人はないであろう。家族とか故郷に対する愛情が祖国に対する愛だと直ちに思うわけにはいかないかもしれない。たしかに家族とか故郷は直接に感じられるが、国となればそうはいかない。国は我々の祖先が何千年の長きにわたって生活をし、文化を築き、苦楽の運命を共にしてきたところである。しかし人間の世界では愛はいつも喜びであるとは限らない。愛には必ず憂いが伴う。親が子を愛し、子が親を愛するということは、親が子を心配し、子が親を心配することである。憂いのない愛情はない。友を愛するとは友の身の上を憂えることである。祖国愛の場合も同じことである。祖国を愛するということは、祖国を憂えることである。愛国は憂国である。守るに値しないような国にどうして愛国心が起こるかとはよく言われるが、こういう考えは愛国心は守るに値する立派な国にしか起きないというもののようである。そうではない。たとえ守るに値しないような国であっても、自分の国であるならば、これを守るに値する立派な国にしようとする情熱こそ愛国心である。B-Pは最後にこういっている。「自分のことを考えず、国のことを考え給え。それから君のやとい主のことを。それから君のしている仕事が他の人々のため、為になりつつあるのだということを。」



17.スカウト今昔

 私がスカウトになった当時は、この頃のように何もかもが機動性に富んでいたわけではなかった。何か一つのことを計画してやるとなると、それは多くの労力と犠牲を必ず伴った。そうしなければ成功に導くことなどは考えられなかった。同僚のスカウト達と夜を徹して、最も合理的に遂行することについて話し合ったことが何度もあったが、結構それでいて楽しかった。
 あのころは、重い荷物の他に、自分の班の野営道具を分担して持ち合い、交代しては野営地に運んだものだった。一日に20キロくらい、それらを背負って歩いたこともある。さしづめ今そんなことを、現在のスカウトにやれば「頭にきちゃう」と云われ、絶対に嫌われてしまうことうけあいである。でもそんな重い荷物を運び、未踏の野山や、谷間を駆けめぐるときは喜びが又、ひとしおだった。
 時代が移り変わると共に指導者もそれにそったものになってきた。現実に合うものが必要となってきたのである。それと同時に、スカウトの気質もかわった。現在の社会的環境や、学校の勉強などの変化に伴い、勿論当然のことなのだが・・・。それだけの時間がないのが可哀想だと思う。活動するだけの余裕を与えてやりたいものだ。
 現在では市販されている無線機なども、当時はまだ奢多の域を出ず、一般的でなかったから、一度伝令の仕事を命令されると、それはひどかったものだ。でもその伝令を待つ隊長の態度はいつも立派だった。小さい者にも労をねぎらうことは忘れなかった。それ故、その他のものにはない誇りを秘かに覚えたものだったが・・・。
 当世風で、しかも無駄をしないで、合理的にそつなくやる今のスカウトと較べれば、なんとのろいことだろうと、今の彼等は云うだろうが、今となってみれば全てが懐かしいかぎりである。



18.B-P最後のメッセージ

 親愛なるスカウト諸君
君たちがもし「ピーターパン」の劇を見たことがあるならば、海賊の頭目が、いつも遺言を口にしていたことを思い出すでしょう。それは、彼の死期が来た時、手筥から遺言状を取り出す時間がないことを、おそれたからです。私の場合もそれと同じことであるから、今私は死ぬのではないが、死ぬ日の来ることを思って、諸君にさようならの一語を贈りたいと思います。これは諸君が私から聞く最後のものだと思ってよく読んで下さい。
 私は最も幸福な生涯を送りました。ですから、君たちの一人一人もまた、幸福であるよう私は念じます。神さまは、私たちを、一生幸福かつ楽しく暮らせるよう、この世界に下し給うたのだと私は信じます。幸福というものは、お金持ちになったり、単なる立身出世や栄達に成功したり、思い通りな我がままができることではありません。幸福になる第一歩は、君たちの身体を少年の間に、健康かつ強壮にすることに始まります。そうすれば君たちが大人になった時、お役に立つことができ、そのために生活を楽しむことができるのです。
 自然研究というものは、この世界が、美と驚異とに充ち満ちていることを教えるでしょう。それは神さまが、そういう世界を君たちの快楽のために贈って下さったことを示します。君たちの得た物で満足し、そしてそれを最善なものにしなさい。ものごとの、暗い面を見ないで明るい面を見なさい。
 けれども、幸福を得る本当の道は、他の人々に幸福を与えることによって得られるものです。諸君の見出した世界よりか、多少でもこの世界をよいものにしてあとに残すならば、君たちの死ぬ順番が回ってきた時、自分は自分の最善をつくしたのだから、とにかく、時を無駄にしなかったという幸福を感じながら、満足して死ぬことができます。
 この道に「そなえよつねに」。そして、幸福に生き、幸福に死ぬこと。いつも、スカウトのちかいを身につけて---君たちが大人になった後でも---そうすれば、君たちのすることを、神さまは助けて下さるのです。
   君たちの友  ベーデン・パウエル・オブ・ギルウェル (S.F.B. より)



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